ライター
一人でできそうな仕事や内職に憧れるのでライターになりたいと思うことがあります。
そのようなことを考えていたら過去にライターの仕事をしたことがあったのでそのことを書く。
学生記者
私は学生時代に喫煙所をよく利用しており,挨拶と天気の話だけはできたので喫煙所に行くと色々な人と話す機会があった。
その中には学校職員の人もいた。その人とは基本挨拶するだけだけど「今日は寒いですね」なんて調子で会話することもあった。
ある日、その職員の人から記者の仕事やってみないかと誘われて、その仕事を受けることにした。
仕事内容は学内の活動を取材して、ブログ記事を書くという内容。
活動当日に活動の代表者にインタビューを行い、その活動の経緯、主旨や印象なども添えて記事を書いた。
書いた記事を見せて校正を受けて修正してから記事を納品した。
後日、学校のブログに私の書いた記事が掲載されていた。
喫煙所で職員と話していると記事の出来が良かったと褒められた。学内会議でも「学生らしい記事で素晴らしい」と絶賛されたそうだ。
「学生らしい」という評価に「幼稚な文章を書いてしまった」と恥ずかしい気持ちになったがクライアントから評価されることは純粋に嬉しかった。
口座には4000円振り込まれていた。
こうしてライターになった。
クソ記事
それからもまた喫煙所で同じ内容の仕事をもらうことがあった。
二回目は難航した。
取材相手が権威のある人間だったことと活動の理解もできぬまま記事を執筆した。
記事の校正を受けて原稿を納品した。
もう内容は覚えていない、クソ記事だったと思う。
一応、記事はブログに掲載された。
口座には4000円が振り込まれていた。
私は記事の評価を聞くために喫煙所で待っていたが職員の人が喫煙所に訪れることはなかった。
後日、記者の仕事をくれた職員が急逝されたことを知った。
なんの予兆もなく急性心不全で亡くなったそうだ。
実際、記事がクソなのかは他人が評価してくれないとわからない。
だから喫煙所で「お前の書いた記事はクソだ」と言ってほしかった。
私は二回目の仕事の評価を得る機会を失った。
それ以降、ライターの仕事はしていない。
当時ライターを体験してみたことを思い出すと、ライターという仕事に抱く気持ちは複雑に思えてくる。
とりあえず今はブログを書いている。