夢の中でブログを書いてる

最近は夢の中でブログを書いてる。

現実ではあまりブログを書かなくなってきた。



私のブログを書く環境は、枕元にノートパソコンが置いてあるから、それで寝起きにブログを書いてる。

夢の中でも寝起きに枕元のノートパソコンでブログを書くし、現実でも寝起きに枕元のノートパソコンでブログを書いてる。

夢の中でも現実でもブログの書き方は全く同じだ。なので最近は夢の中でブログで書くことと、現実でブログを書くことの違いがわからなくなってきた。

ブログを更新しても書いたはずの記事が投稿されておらず、困惑することがある。

しばらくしてから夢の中で書いたブログ記事だから現実では反映されていないことに気がつく。

最近は現実よりも夢の中でブログを書いている時間のほうが多いから、夢の中で作った記事を投稿できていないことが悲しい。



夢の中でブログ投稿を続ける毎日を送ることで、脳内ブログのリアリティが増していった。今となっては、脳内に新たなブログを開設されてしまったような気持ちになっている。

夢の中であっても伝えたいテーマを考えながら文章を書いているし、夢の中で記事を書いている方が現実よりも面白い記事が作れる気がする。

夢の中でブログを書いてしまうと寝起きの時点でブログに満足してしまうことが多い。だから、現実ではブログを書く気が湧いてこない日もある。



私の現実が夢に侵食されつつある。

夢の中でブログを書くのが楽しいから二度寝の時間もどんどん伸びてきている。

夢に侵食されすぎるのも良くない気がしてきた。

これからは夢のブログで文章の内容を考えて、現実のブログでは投稿数を増やしていきたいと思う。

食べられた。それだけでうれしくなった。

寒いからなのだろうか、体の調子が変だ。

眠くて起きられなくなってきた。

感情もニュートラルにリセットされたような感覚になった。

元気になった面もあるし,元気じゃなくなった面もある。

ブログを書く元気までリセットされた気がする。
書きたいことが自然に浮かんでくることがなくなった。

私は気温変化に弱いみたいだ。
今は、寒い季節に向けて身体が適応しようとしているのだと思う。

元気になってきた面もある。

これまで慢性的に吐き気があったから、寝起きで食べることが出来なかった。

今日は起きてから「腹が減っている」と感じたので急いで食パンを焼いた。

不思議なことに寝起きで食べても吐き気を感じなかった。

それだけでうれしくなった。

食パン以外もたくさん食べられた。

夢中になって腹が一杯になるまで食べた。

全て旨いと感じられた。

食パンなんてスライスチーズを乗せて焼いただけなのに旨い。旨すぎる。

食事というのは当たり前の事とされているが、いつまでも飯が美味しく食べられるとは限らないと思う。
食事を美味しく食べられる,それだけで大きな満足感が得られた。

1日3回以上食べるチャンスはある。
食べられる時に飯をちゃんと食べておいた方がいいと思った。

まだ季節の変わり目,明日も体調は変化するだろう。

これからも当たり前に食事を楽しみたいという気持ちは忘れずにしておきたい。

【クソ記事】コーラ飲みたい

コーラ飲みたい

コーラがあったら際限なく飲んでしまうからコーラを備蓄していない。

コーラがなくなったら2缶買いに行く。

次の日も2缶買いに行く。

コーラがないと一日が終われる気がしない。

コーラのない日はスッキリしない。

だからコーラが飲みたい。

ずっとコーラを飲んでいたい。

ファミレスにあるドリンクサーバーが家に欲しい。

コーラの原液のタンクが欲しい。

コーラを運んでいるトラックが欲しい

コーラ工場に住みたい

コカ・コーラ社に住みたい

とにかくコーラが飲みたい

身体に悪くてもコーラが飲みたい。

常にコーラで満たされていたい。

いっそのことコーラを点滴していたい。

コーラを静脈注射して欲しい。

コーラをカテーテルでつないで供給してほしい。

それくらいコーラを飲みたい。

コーラを一生飲み続けたい。

あーコーラ飲みたい

コカ・コーラ 500mlPET×24本

コカ・コーラ 500mlPET×24本

笑えたわ

はてなブログで購読しているブログを読むのが日課です。なぜかブログ一覧の画面に卑猥な画像が表示されていました。

というのも、ブログ記事にデカデカと無修正の全裸画像を掲載していた人がいたためでした。


はてなブログって、卑猥なのだめでしょ?

どこまで卑猥なのがダメかよく知らないし、まぁどうでもいいわ。

でもさ、はてなブログで卑猥なのはダメだって。ヤバイって。

ヤバイと思いつつも、とりあえず笑ってたわ。

卑猥な記事は作っちゃダメだって。

でも、卑猥な記事だけ際立ってたから面白すぎたわ。

不意打ちすぎて笑ったわ。

笑っていたら、笑いが止まらなかったわ。

ちっちゃい画像のクセに笑えたわ。

卑猥な画像が強烈すぎて、文字なんて一切目に入ってこなかったわ。

今まで読んだ記事の中で一番笑ったわ。

いや、厳密には読んでないけど、笑ったわ。

クリックすらしてないのに、笑えたわ。

エロ画像1枚で心の底から笑えたわ。

自分にはないモノを持っている人たち

私は,ブログで文章を書いて記事を作っています。


記事を投稿してからも,自分の文章をずーっと読んでいることがある。投稿してからも気になってしょうがない。それが一応,誤字脱字,文脈を精査する機会にはなっています。でも,自分の書いた文章を実際に読んでどう感じるか,それが気になるのです。それが終わると,次は,他人の文章を読みたくてしょうがないと感じるようになるんです。


文章を書くということで気づいた事。それは文章を書くためには,文章を読む必要があるということ。さらに付け加えると,私が文章を書くためには他人の文章を必ず読む必要があると思うんです。そうしないと私は書くということができないのだと思います。


他にも気が付きました。文章を書くと,読みたくなる文章に傾向があるのです。自分と異なる存在。自分にはないモノを持っている人たちの文章。自分より年上の文章,自分とは異なる文章表現を求めてしまいます。


私は,文章を書くと,渇きに似た衝動を覚えます。自分とは異なる文章表現を見ることで心が癒やされていきます。そして,異質なモノを吸収しようとしています。


異質なモノを取り込んで,それから新しく文章を書く。また異質なモノを,というサイクルで新しくなにかを書いていく。そうすると新しい文章表現ができるようになるかもしれません。



自分より年上の文章

年上の文章に,自分の未来を重ねて見るからでしょうか。私は30代ですが,40代,50代,最高だと70代のブログを読みます。

語り方の視点の違い,語り方に特徴があります。年齢によって文章から風格を感じます。文章に貫禄が滲み出ていると思うことがあります。

文章表現では,書く視点の違い,文章の間隔のとり方,空白の使い方によって生み出される特有のリズム感と語り方によって,その人特有の文章表現が生まれていくのだと思います。

一番は,湿り気のあるしっとりとした口調で心情を吐露していくことができる人。これはズルいなと。読んでて染み込んでくる。文章に心を掴まれてしまう。


年上の人のブログを探すと良いブログと良い文章に出会えると思いました。


自分にはないモノを持っている人たちの文章

ほんわかと,のんびりと,とりとめのない日常を書くことができる人がいます。私はほんわかとした文章は書けません。書こうとしません。でも,ほんわかとした文章を書かないから,ほんわかとしたものが読みたくなるんです。読んでて,今日も平和だったんだと思えて心が平穏になっていきます。


次に,営利目的ではなく,好きなモノを個人的に紹介できる人も好きです。紹介している商品に興味がなくとも文章を読みます。楽しそうに書かれた文章に惹かれています。紹介している理由もよくわからない時があって,売上とか絶対的な指標から外れた存在の文章。それが面白いです。


ほんわかとした表現ができることも大事なことです。そのまま書いて表現しないほうが良いこともありますから。それと私は水道水をブログでレビューしたことがあります。なんでもいいからレビューしたくなるときがありますね。


異質な文章

異質な文章といっても,意味は理解はできる程度の文章です。異質すぎると,そろそも理解すらできません。

私の場合は,アニメについて語っている人の文章が異質に感じることがありますね。使っている単語の意味が理解できないことが多い,社会科学、心理学、経済学を絡めて語られることもある熱量の高い文章。


必ずしも理解しようと読んでいるわけではありません。それでも読んでいて突然爆笑してしまったり,自分の新しい一面に気がつく,可能性を発見できます。新しい趣味が見つかるかもしれません。こういうのは飛び込んでみないとわからないと思います。異質なものほど発見があるようなそんな気がします。


最後に

読むことと書くことは別物だと思っていたけれど,そんなことはないよと思いました。

書いたら読む。読んだら書く。

他人の表現まで吸収して表現を極めたいです。

朝起きる才能

朝起きるのが苦手です。

寝起きは意思の力をほとんど使うことができません。眠い,体がダルい,布団が心地よい。感じたことを全面的に認めてしまいます。だから時間も気にせず二度寝を始めます。起きたら午後になっています。生活をスタートさせる時間がとにかく遅いです。

秋というやつでしょうか,起きたら寒いです。起きるのがつらい時期に突入していました。

私は起きるのが苦手です。それでも,用事がない午前中に起きることができるようになってきました。二度寝してしまったとしても,お昼頃までに布団から脱出できるようになりました。

なぜ,起きれるようになったかというと,早く寝ようと意識する。目覚ましを朝の9時にセットしているから。それだけです。

「できることからコツコツと」という言葉がありますが,無理のない範囲でやれることをやる。すると苦手なことが少しづつできるようになりました。

とは言っても,自分ができることを設定することは,実は難しいかもしれません。私にとってのやれることはレベルが低すぎて理想や常識から外れていることが多いです。私は小学生でも当たり前にできる事が出来ません。

情けないけれど,無理なことは無理なんです。だから自分がやれることからやっていこうと思います。それにやれることに挑戦して良くなろうとする気持ちは心の中にある高貴な一面に思います。健康な心の動きだと思います。

午前中に生活していて気がついたことがあります。午前中はクリエイティブで無心に作業に打ち込むことが出来ます。あまり雑念がありません。考えすぎないで済みます。面倒なことほど午前中にやっておきたいと思いました。


これまで朝起きれないと書いてきましたが,環境が変えれば,朝起きることは現実的に出来ます。でもそれは重大な用事があったり,起きれないことで誰かに迷惑をかけてしまうと思うからです。恐怖を感じて起きています。悪夢で目覚める感覚と似ています。当然,起きられても気持ち良くないです。なので,朝起きのが苦手なんです。朝起きることが自然にできません。

朝起きて清々しい朝を迎える。それが理想でしょうか。でもそんな清々しい朝を迎えたことは人生で2回しかありません。私には起きる才能がないと思う。それでも朝起きる才能がなくても自分なりにやれそうなことをこれからも挑戦していきたいと思います。

恐怖を感じないで起きられたことを喜ぶ。スッキリ起きられなくてもいい。眠気を感じながらでいい,ぼんやりと,お湯を沸かしてコーヒーを飲む。だんだん覚醒してきて生活を始めることができる。

それが理想です。

病気を腕力で捻り潰そうとしている人がいた

ブログを読んでいたら,病気を腕力で捻り潰そうとしている人がいた。


日記より引用。

腕力で「離脱症状」をひねりつぶしてやりました(笑)


読んだ瞬間,目眩がして,ハジけるような衝撃を受ける。

病気を腕力でひねり潰す

これが文才というやつか。

日本語って自由すぎない?

こういう時なんて言えばいいんだろう・・・文章から趣を感じましたね。


「病気を腕力でひねり潰す」という表現をどのように捉えますか?


最初は面白い表現だと笑っていましたが,元気までもらえる言葉だと思う。

気になるので何回も読み込みました。

「病気を腕力でひねり潰す」を理解するまで

【1度見】「病気を腕力でひねり潰す」


そんなの無理だよって思った。それでもちょっと気になっちゃうんだよね。

【2度見】「病気を腕力でひねり潰す」


病気に物理で対抗するのかよ!と,突っ込みたくて,面白くて,笑ってた。

【3度見】「病気を腕力でひねり潰す」


「元気がないから,敢えて頑張る」みたいな表現,面白くてたまらなかった。

【4度見】「病気を腕力でひねり潰す」


意味不明だけどめっちゃわかるわ。

【5度見】「病気を腕力でひねり潰す」


心の問題にとっても筋トレは大事だよね。


ここで何かに気づいて,体がブルブルッとなる,そして全てを理解する。

【6度見】「病気を腕力でひねり潰す」


病に対する,短絡的でいて超論理的な表現だなと。

病気に対する一つの解。真理。書いた人が天才だと気付く。


「病気を腕力でひねり潰す」というワードでここまで楽しめるなんて思わなかった。


似たような表現,文体があるような気がするから捻り出す。

風邪でも真面目に出勤
冬は半ズボン
調子が悪いから,本気だす
悩みすぎて,超冷静
みたいな。

病気を腕力でひねり潰す。


やっぱこれ以上の文章はない。読んでて面白くて笑っちゃう,元気がもらえる言葉。


病気を腕力でひねり潰す


この言葉が好きです。


出典

出典となったフレーズが書かれた日記のURL
「うつ病ブルー」地獄から生還を果たす - 人生一度きりだからこそ自分らしく


「人生一度きりだからこそ自分らしく」を運営しているバッドベビーフェイス先生は表現の天才だと思った。