デスパレード爽やか

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

デスパレード

僕がデスパレードを宣言してからも循環線はいつものように回り続ける。周りと違うと感じ始めてから、自分は宇宙の端っこにいる宇宙人なんだと思うようになって悲しくなった。でも、やりたいことも出来たからちょっと感謝している。それ以来、宇宙の端っこで日常を過ごす宇宙人をしている。

机の上は、WindowsOSを映すディスプレイが常時点灯し、脇には、飲みかけの缶ジュースと母親の作ったハムサンドの入ったタッパーが置いてある。ネットで自分の得意不得意を探すために出かけていく。そうやって昼夜逆転を繰り返す生活はメチャクチャになっていく。いつのまにか、哲学や心理学の論文に自分のことが書かれているような気がして夢中になる。

母は毎日15時になると、ミルクとエスプレッを綺麗に混ぜた優しい味のカプチーノを持ってきてくれた。

ある日、カプチーノを飲んでいると、いつものように母に声をかけられて、とりとめもないことを話した。すると、「来週から相談員の先生がやってくるのはどうか」と尋ねられた。僕はそれに同意して承諾した。それから間もなく、僕宛に相談員派遣のメールが届き、それに返信した。

穏やかな雰囲気でウール地に暖色系のスーツを着た老齢の男性が訪れてきた。事前にメールや電話したときと同じように礼儀正しく、不登校相談員のアプローチは適切で段階的だと感じる。彼の知的で優しげな人柄によって学校関係者も協力的になっているようである。玄関の前では、僕よりも神経質な母も早々に打ち解けている。気づいたらそうやって見ていた。僕も意図せず、身を駆られている。そんな自分がどうしようもなく怖い。

このままではデスパレードは中断になってしまう。そんなことがあっては困るのだ。僕は玄関の前まで飛び出してその男に向かって叫ぶ。

「こんにちわ!相談員さんのチェンジできますか?デリバリーヘルスみたいに…チェンジ希望、です。…お願いします!」

怠惰な日常を引き伸ばすために必死になってチェンジを伝えた。玄関でチェンジを突きつけられた相談員は優雅に笑ってから穏やかに答える。

「チェンジも受け付けてますよ。で、好みは?」

僕は「宇宙人」と伝えて、そそくさと2杯のカプチーノを自室に持ち込んでドキドキしながら飲み干す。彼があと一歩踏み込んでいたら、きっと健全にされていただろうな。とてもヒヤヒヤした僕は文部科学省と厚生労働省のHPに掲載されている教育施策や不登校への対応についての学校の取組と配慮事項及び思春期のメンタルヘルスに関する対応と配慮に関する情報に目を通しておくことにした。

爽やか相談

くたびれたシャツ、下はチノパンとクロックスを履いた大学生の男が家の前に訪れた。僕が玄関を開けると、彼はやけくそ気味に「爽やか相談員の峰村です」と名乗った。挨拶も半ばに、玄関で峰村は熱心に不登校相談員と爽やか相談員の違いをプレゼンしようとする。

僕は自室に招くことにした。慌てた母がお茶と菓子を差し出すと、なんと、峰村はプレゼンしながら熱々のカプチーノを音を立てて啜り始める。その姿を見た僕も母も、つい爆笑してしまう。峰村は爽やか相談員という肩書きに似つかわしくないほど具合が悪そうに見えた。しかしながら、独自に考案した、爽やかな相談の在り方をついて一方的に熱心に語り続けるのだった。僕はその相談の在り方に納得したので契約した。

一ヶ月後。爽やか相談は週に1回の二時間制で始まる。やることは決まっているようで、ほとんど決まっていない。そもそも登校することがゴールとして設定されていない。やりたいことをやれていれば評価に値するという考え方であった。相談してもいいし、相談しなくてもいいが、峰村はプライベートの話も包み隠さず話すタイプであったためか、ポツリポツリとお互いの内面に関する話が増えていった。僕と同じく峰村自身も精神的に参っていることが多いようで、心的に負担のある話題は曖昧な空想にして話すのだが、そのような時は決まって「空を浮遊していたい」と言うと、僕も同じような空想を話した。お互いに「苦しい」と言って涙ぐむこともあった。

五ヶ月後。いっそう苦悩していたが、悩みを具体的なエピソードで語り出すようになった。将来の進路と学校の単位を心配している。友人から見捨てられてからは日常的に目眩と吐き気に苦しむようになった。日常は膜が張ったような感覚になり、生活になんの手応えもないと感じながら暮らしている。また、そのような、地に足がつかないふわふわした感覚もまた、不安であり、どうしようもなく胸が苦しいのだと吐露する。とにかく考えたくない。考えないために間違ったように振る舞っているのだと。しかしながら、悩みを誰にも話そうとしなかったこと、それは、ただ辛いことだとわかった。話してみたら少し安心できた。そう言いつつ、お茶も菓子も喉を通らなかったようだ。

一年後。彼は体調が優れず、学校の出席が足りず、どうしようもない状況の中。卒業できるのかわからず不安。ましてや働けるなんて思えない。しかし、家族の期待に応えていきたい。そう思うからこそ父親になんて言えばいいのかわからないと苦悩してしまう。それは教授から強引に爽やか相談員を押し付けられたことと似ていた。いつしか、爽やか相談に使命感を抱くようになると必死になって――この時期の彼の拠り所はそれしかないと言えるほどほど荒れ様だった。爽やか相談を中断するようなことがあったらなにもかもが破綻していくような気がして、(冷めたカプチーノをゴクゴク飲む)それが怖かった。ただ、既存の不登校相談員としてではなく、独自に爽やか相談員として活動してきたことは間違っていなかったと思える。そう思えるのはなにより期待に応えたいという気持ちがあるからだろう。

爽やか相談最終日。お互いに熱々のカプチーノを音を立てて啜って飲む。これまでやってきた爽やか相談のことを語り合った。この時になって、峰村から初めて健康的な快活さを感じた。峰村は大学の卒業が決まったと嬉しそうに語る。その次に、嬉しさと虚しさが混ざったような表情を浮かべて東京の会社で内定をもらったことを報告してくれた。少し間を置いて、スッキリした表情になった峰村が言う。

「君はお父さんの期待に応えたかったんだね」

それは本来、彼自身が解決すべき問題なのだが。少し考えて、「そうです」と答えてしまうと、僕も爽やかな気持ちになってしまうのだった。