残業メイド
今の会社に入社して三年目。
前の勤務先を辞めた理由は時間にうるさい会社だったから。
定時に帰れて、給料も待遇も良くて、周りの人も優しかった。仕事以外でも褒めてもらえることが当たり前で、つまり、その職場が健全すぎて、それが問題に思えた。もちろん、早朝出勤も残業も禁止だった。
うっかり、30分早く出社してしまったある日。
遅れてきた上司に注意された。早く来ただけなのに注意された。
その時の上司の「時間を守れ」という言葉で退職を決意し、早速、その日の内に辞表を提出していた。
意外にも、上司は辞表をよく読んでくれて「君の意志、よくわかったよ、会社としても貴方の意志を尊重したい、これまで我社で働いてくれてありがとう。私も一緒に仕事ができて光栄だったよ」と言ってくれたから、私は少し極まって泣いていた。
だからこそ、もう、時間に縛られずに働いていたいと、そんな決意で今の会社に入社したのだった。
これから毎日残業できる、そう心の中で叫んでいたが、入社してみると、残業はできるものの、24時以降の残業は中々許可してもらえず、残業のために持ち込んだ寝袋や着替えを活用できないなんてあんまりだと思った。
24時間仕事をするために出社しているのに、会社を住居にしようとすると怒られることが不思議だった。残業延長を上司や同僚に相談するが、古い考えだと言われて理解してもらえなかった。結局のところ、残業申請と宿泊申請書を提出して、1分でも長く会社に居座る他なかった。
そんなある日、
深夜、会社の給湯室の鏡の前、恒例の化粧落としとクレンジングタイムを満喫している時にメールの着信音が鳴った。
差出人はSと書かれており、全く知らないメールアドレスだった。
タイトル:お疲れさまです
本文:無理をしないで
と書かれていて、正直お母さんみたいな人だなと思った。
返信せず無視したが、この日からSと名乗る人物からのメールが届くようになった。
「風邪に気をつけてね」
「労働基準法で定められた労働時間ってご存知ですか」
「家でよく休んでね」
こんな感じのメールが毎日届く、これはつまり、私の残業ライフを知っている人からのメールだったのだ。というのも、私がゲームのために有給を取ったり、寝坊して出社した日にはメールが来ないからであった。
今日も、着信音と同時にメールが届く。
差し出し人:S
タイトル:いつもお疲れさまです
本文:給湯室に置いてあった寝袋は洗濯しました。今は屋上に干してありますよ
この時点で、差出人は社内の人物に特定できたが、メールしてきた本心を知りたかったので、初めてSという人物にメールを返信することにした。
タイトル:洗濯どうも
本文:片付けるの忘れてました。すいません、あと、洗濯までありがとうございますね。寝袋の羽毛が縮まないように干す時は注意してくださいね。
あと、あなたは誰ですか?
と送信すると、すぐにメールが返ってきた。
タイトル:あなたの味方です
本文:あなたの残業を支える家政婦です。
名乗るなら残業メイドってとこですかね。
残業メイド?
私は少し笑って、メールで返事を返した。
タイトル:あなたは100点だ
本文:100点の残業メイドだ。
これからも私の残業を支えてください。
それから、残業の時だけ、残業メイドの家事代行サービスが始まった。
最初は、デスクの埃を払ってもらう程度だったが、家事代行サービスは充実していった。次第に自宅の洗濯物を会社に持ち込むようになり、シャツのシミを漂白してもらったり、外れたボタンを縫ってもらうようになった。時に炊事、時に洗濯、時に買い物、次第に会社に衣類や家具などの私物で溢れるようになったが、その都度、整理整頓が行われて、清潔な状態が保たれていた。
会社は私の住居と化していった。
その傍らにはいつも残業メイドがいてくれた。
そんなある日、残業メイドから、育児休暇を取るので当分残業メイドはできないと言われて私は気づいた、そういえば結婚してたっけ、と。私は残業メイドがいなくなると寂しくなるなと感じた。
残業メイドがいなければ残業だけでなく代行していた家事も滞るのは間違いないだろう。
今後の残業ライフの陰りを感じた私はしばし呆然としてしていたが、それと同時に残業メイドに今までのお礼を伝えたいという感謝の念が湧いた。これまでの残業を共に過ごしたことを振り返ると満ち足りた気持ちしか湧いてこなかったから、残業メイドにこう告げた。
あなたとの残業は楽しかった。
今ならわかる。残業は残業メイドあってこそだ。
これからは私も誰かにとってのメイドでありたい。
残業メイドありがとう。
Sさん、ありがとう。
しばらく、お礼を言い合って、握手して、お互いの今後の健闘を称え合った。
それから、
残業メイドは家庭に帰っていった。
私は会社に帰ることにした。
残業メイド―おしまい―
【あとがき、リライトの感想】
元記事は登場人物の労働基準法が危うい感じと残業の美化という印象を受けた。読んでいると、残業って必ずしも悪いことだけではないという気もしたので、本記事は残業の辛さを含めて敢えて称賛してみよう。ということで元記事をリライトしました。カッコつけて言うと、残業美化に対するアンチテーゼ、みたいな。
【原案】
『第2のRira』⑩
ブログ新企画やりまーすPART2 - ですね。note
残業王子 - ですね。note